人事領域で仕事をしていれば、一度は耳にしたことがあるであろう「人的資本経営」という言葉。 「最近よく見聞きするようになったな」「なんとなく大事そうだけど、何のことなのかよくわからない」という方も多いと思います。 本記事では、そんな「人的資本経営」の概要や重要性、メリット、企業が実践する上でのポイントを解説しています。 人的資本経営への理解を深め、人材への投資を通じて、生産性を高め、より大きな成果を上げられる組織を創っていきましょう。1「人的資本」とは何か?「人的資本経営」について知る前に、「人的資本」とは何かを理解しましょう。「人的資本」とは、人材を「消費」するのではなく、個々に能力やスキルを持ち成長する「投資」する対象として捉え、投資をすることで付加価値を生み出せる「資本」とみなす概念のことです。1.2「人的資源」とは?人事領域に携わっている方なら、「人的資本」に似た「人的資源」という言葉も見聞きしたことがあるでしょう。人的資源は以下のような概念です。 「人的資本」が、人材を個々に能力やスキルを持ち成長する「投資」する対象として捉え、投資をすることで付加価値を生み出せる「資本」とみなす概念なのに対し、「人的資源」は人材を「モノ・カネ・情報」などの経営資源の1つと捉え、消費するものとみなす概念を意味します。1.3「人的資本」と「人的資源」の違い人的資本は、人材を投資対象として長期的に育て、リターンを得るものとして捉えます。 人材のスキルや知識、経験を高めるために企業が投資をして人材の価値を向上させることで、企業価値も向上させることを目指します。 一方で、人的資源は、人を消費すべき資源(リソース)、コストとして捉えます。 すなわち人的資源は、長期的な視点に立っていない、近年注目されている「持続可能性」が考慮されていないとも言えるでしょう。2 「人的資本経営」とは何か?ここまでの解説を踏まえ、人的資本経営の意味を紹介します。人的資本経営とは、人材を「利益や価値を生む存在」として、資源ではなく「資本」と位置づけて、その価値を最大限に引き出すことで、中長期的な企業価値の向上につなげる経営のあり方のことです。2.1 人的資本経営に注目が集まる背景なぜ「人的資本経営」が注目されるようになったのでしょうか? その背景を6つの観点から解説します。投資家やステークホルダーの意識の変化サステナビリティ(持続可能性)の重視技術革新の加速による市場の成熟深刻化する人手不足経済産業省から公表された「人材版伊藤レポート」の影響内閣官房が発表した「人的資本可視化指針」や金融庁が公表した「2022事務年度金融行政方針」の影響2.1.1 投資家やステークホルダーの意識の変化近年の環境問題や社会課題を受けて、投資家やステークホルダーが企業のサステナビリティを評価するようになってきました。昨今、投資家の間では「ESG投資」が大きな潮流に。 ESG投資とは、「Environment(= 環境)」「Social(= 社会)」「Governance(=コーポレート・ガバナンス )」の観点に配慮して投資を行うことを指します。 「人的資本」の項目は、ESGの「Social(= 社会)」のカテゴリーに属します。 投資家やステークホルダーは企業の将来性を判断するために、人的資本経営に関する情報を強く求めているのです。2.1.2 サステナビリティ(持続可能性)の重視サステナブル(持続可能)な社会を実現するために「SDGs(※)」が掲げられるようになってから、企業経営におけるサステナビリティ(持続可能性)が、今まで以上に重視されるようになりました。このような背景から、従業員1人ひとりの事情や状況に合わせた形で「個」を活かし、パフォーマンスを最大限に引き出すことで組織の競争力を高め、経営における長期的な持続可能性を確保することが欠かせなくなっています。※SDGs:Sustainable Development Goals(持続可能な開発目標)の略称。国連に加盟している193カ国が2030年までに達成すべき17のゴールが設定されている。参照:SDGsとは?2.1.3 技術革新の加速による市場の成熟第4次産業革命が本格的に加速していることで、市場が成熟し、企業が技術力のみで差別化していくことが困難な状況に陥っています。 この状況を打破するために、人材に投資をし、価値を発揮し、企業価値を向上させる経営(= 人的資本経営)が求められているのです。2.1.4 深刻化する人手不足パーソル総合研究所が中央大学経済学部の阿部 正浩教授と共同開発した「予測モデル」を使用して推計した2030年時点の日本の人手不足数は、なんと644万人。 2030年には、7,073万人の労働需要に対し、6,429万人の労働供給しか見込めず、「644万人の人手不足」になることが判明しました。2030年以降も、この人手不足の状況は深刻化する一方であり、人手がほしい企業と人材不足の需給のギャップがどんどん開いていくと言われています。 この状況下で企業が人手を確保し続けるためには、人材に投資をし、人材と企業の価値を向上させ続け(= 人的資本経営)、求職者に選ばれる企業になる必要があります。引用:『パーソル総合研究所 労働市場の未来推計 2030』2.1.5 経済産業省から公表された「人材版伊藤レポート」の影響「人材版伊藤レポート」(※)とは、2020年9月に経済産業省が発表した「持続的な企業価値向上と人的資本に関する研究会」による報告書のことです。 「人材戦略の変革の方向性」「経営陣、取締役会、投資家が果たすべき役割」「人材戦略に共通する視点や要素」などが記載されており、人的資本経営に関する重要性を説いた報告書として話題になりました。 「人材版伊藤レポート」の「伊藤氏」とは? 「持続的な企業価値向上と人的資本に関する研究会」で座長を努めた、一橋大学の名誉教授・伊藤 邦雄氏のこと。※最新の伊藤レポートは、2022年5月に発表された「人材版伊藤レポート2.0」。リンク先は「人材版伊藤レポート2.0」の内容になっています。2.1.6 内閣官房が発表した「人的資本可視化指針」や金融庁が公表した「2022事務年度金融行政方針」の影響2022年8月30日に、内閣官房から上場企業向けに人的資本に関する開示のガイドラインとなる「人的資本可視化指針」が発表されました。 また、2022年8月31日には金融庁から「2022事務年度金融行政方針」が公表され、有価証券報告書において人的資本情報開示を義務づける方針が示されました。 政府からのこれらの発表により、上場企業を中心に「人的資本経営」が意識されるようになり、注目を集めるようになりました。3. 人的資本経営を実践するメリット人的資本経営を実践することによって、企業にどのようなメリットがあるのかを「対 投資家」「対 顧客」「対 求職者」「対 従業員」の4つの観点から解説します。3.1 「対 投資家」のメリット3.1.1 企業価値の向上につながる近年では、人的資本経営への取り組みそのものが直接的に株価に影響を及ぼすケースが増加しています。 「企業価値 = 時価総額 + 有利子負債」「時価総額 = 株価 × 発行済株式数」で表されるので、人的資本経営が市場で評価されれば株価が上がり、それに伴って時価総額や企業価値も向上するというわけです。3.1.2 新たな投資を受けられる可能性が高まる2023年3月末以後の事業年度にかかる有価証券報告書から、サステナビリティ関連項目として「人的資本」の情報開示が義務づけられました。 これにより、投資家たちに自社の人的資本経営の取り組みを伝えられるようになり、その内容に興味や関心を抱いた投資家から新たな投資を受けられる可能性が高まりました。3.2 「対 顧客」のメリット人的資本経営の取り組みに対する顧客からの共感や信頼を通じて自社の価値を高めることで、企業のブランディングにつながります。 人的資本経営は、企業ブランディングの1つの手法にもなるのです。3.3 「対 求職者」のメリット人材の成長に投資をすることで既存の従業員が育つと、優秀・魅力的な人材が増え、求職者に対して良いイメージを与えられるようになります。 求職者は自分をコストではなく、「資本」として捉えて投資し、成長を支援してくれる企業を好むので、人的資本経営の具体例を示すことによって、新たな人材を確保しやすくなります。3.4 「対 従業員」のメリット3.4.1 生産性の向上につながる人材のスキル、知識の向上の投資をすることで、従業員が効率的に仕事を行い、アウトプットの質とスピードを高められるようになり、仕事の生産性が向上します。3.4.2 従業員満足度やエンゲージメントの向上につながる人材に研修やスキルアップの機会を積極的に提供することで、従業員が自己成長を追求できるようになり、自己実現に繋がりやすくなります。 その結果として、従業員満足度やエンゲージメントが向上します。4. 人的資本経営を実践する上での5つのポイント人的資本経営を実践する際に、どのようなポイントに気を配ればいいのでしょうか? ここでは、人的資本経営を実践する上での5つのポイントの解説と、いくつかの企業の人的資本経営の実践事例をご紹介いたします。経営戦略と一貫性を持たせて連携する「自社のありたい姿」を大切にする自社のありたい姿、経営戦略を実現するための人材ポートフォリオを策定する人的資本の価値の高め方を考える「情報の開示」を目的にして取り組まない4.1 経営戦略と一貫性を持たせて連携する人的資本経営をただ実践するだけでは意味がありません。 自社の経営戦略と一貫性を持たせ、連携していることが必要不可欠です。 そのためには、以下のようなことを考える必要があります。4.2 「自社のありたい姿」を大切にする人的資本経営に着手する際によく陥ってしまうのが、「◯◯社が、こういうやり方をしているから、うちの会社もマネしてみよう」と安易に他社の模倣をしてしまうことです。 他社と自社では、経営戦略も人事戦略も、抱えている課題も異なります。したがって、他社のやり方を模倣するのは得策とは言えません。以下のように「自社のありたい姿(長期・中期)」を起点とし、人的資本経営の具体的なアクションを導き出しましょう。4.3 自社のありたい姿、経営戦略を実現するための人材ポートフォリオを策定する自社のありたい姿を決めたら、経営戦略を実現するための人材ポートフォリオを策定することをおすすめします。 近年、人的資本経営への注目度が高まるにつれ、自社の人的資本を整理するために、人材ポートフォリオの重要性は高まってきています。人材ポートフォリオとは? 企業が経営戦略や事業戦略に基づいた経営目標を達成するために、従業員の貢献のしかたに応じて人材タイプを複数のグループに分類し、どのような能力や特性を持った人材が、どのタイミングで、どれくらい必要になるかを予測し、分析したもの。以下に人材ポートフォリオのイメージ図を掲載します。4.4 人的資本の価値の高め方を考える自社の経営の目的を達成するためにどのような人的資本が必要かを考え、どのような人材が価値が高いと言えるのかを定義します。 それらを起点に、人的資本を高めるための方法や仕組みを構築していくことが重要です。 経済産業省が発表している人的資本経営の実践事例集を紹介します。4.5 「情報の開示」を目的にして取り組まない令和5年3月31日以降に終了する事業年度に係る有価証券報告書から、人的資本の情報の開示が義務づけられました。 ここでのポイントは、人的資本経営の目的を「有価証券報告書で情報を開示するため」と勘違いしないことです。開示は、自社の人的資本経営のやり方を世の中に約束し、人的資本と会社の価値を高めるために行います。 「何のために人的資本経営を行うのか?」手段の目的化が発生しないように注意することが重要です。5. 企業が求められる情報開示の内容とは?企業はどのような情報開示が求められるのでしょうか。そもそも人的資本の情報開示とは何かから見ていきましょう。5.1 人的資本の情報開示とは人的資本の情報開示とは、社内にある人的資本の情報、人的資本経営の取り組みや結果を有価証券報告書に記載し、ステークホルダーに公開することです。 現状では、東証プライム、スタンダード、グロースの全市場の約4,000社と上場準備中の約500社に対して、市場・求職者・従業員の3つの観点における人的資本経営の取り組みの開示が義務づけられています。5.2 人的資本の情報開示 7分野19項目「2.1.6」で触れた、内閣官房が発表した「人的資本可視化指針」では、人的資本における望ましい開示項目として、以下の7分野19項目が掲げられています。19項目すべての開示が必須ではなく、これらのうちの一部の項目を「投資目的の視点」と「数値化できるかの視点」で整理して開示することが求められています。5.3 情報開示が求められている背景なぜ人的資本の情報開示が求められるようになったのか、その背景を3つの観点から解説します。ESG投資への関心の高まり人的資本に対する価値や関心の高まり欧米の流れを受けて5.3.1 ESG投資への関心の高まり「2.1.1」で解説したように、企業が長期的に継続して成長していくためには「ESG投資(企業の財務面ではなく、環境や社会問題に対する取り組みに着目した投資の判断基準)」に取り組む必要があると言われています。 今まで投資家たちは企業の財務情報をもとに投資の判断をしていましたが、近年は非財務情報をもとに投資先を選定するようになってきました。人的資本はESGの「S(= Social)」のカテゴリーに属し、非財務情報に分類されるので、投資の判断基準にするために情報の開示が求められるようになりました。5.3.2 人的資本に対する価値や関心の高まりITやAI技術の急速な進化によって、人にしかできない想像力を要する仕事の必要性が高まってきています。このような流れを受け、昨今は人材に投資をすることでイノベーションをお越し、企業のさらなる成長や価値の向上を目指す考え方が広まりつつあるのです。 そのため、人の能力やスキルに投資する「人的資本」に対する価値や関心の高まりを受けて、情報の開示が求められるようになりました。5.3.3 欧米の流れを受けてヨーロッパでは環境問題やサステナビリティへの関心が高く、アメリカよりも先にESG投資が注目され、その流れで人的資本の情報開示も進められてきました。 欧米では、日本よりも数年前から人的資本の情報開示が義務化されており、日本はその流れを受けて人的資本の情報開示が求められるようになったと言えるでしょう。 以下に欧米の人的資本の情報開示に関する動きを記します。6. 今後さらに注目されるであろう人的資本経営を実践しよう人的資本経営は、組織の中で最も価値ある資産である従業員に焦点を当て、彼らの能力と発展を最大限に活用する経営方法です。このアプローチが注目される背景には、組織の競争力向上や持続可能な成長への必要性などがあります。人的資本経営は、組織にとって競争上の優位性を構築する鍵です。従業員の満足度と成長を促進し、組織の目標達成に向けた力強いパートナーシップを築く手段として、今後ますます注目を集めるでしょう。